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龍潭池の汀にて冊封使を歓待する琉球国王
絵の左半分では、龍潭池の波止場にもうけられた席で、冊封使が爬龍(はーりー)や舞踊を見物する様子が中心に描かれています。画面上部には首里城と周辺の代表的な建物が並んでいます。
当時、中国を盟主とする冊封という体制下にあった琉球では、国王が変わると、新しい国王を中国皇帝に承認してもらわねばなりませんでした。その承認式を行うため、皇帝の代理として来琉した中国の役人が冊封使(正使と副使の二人)です。冊封使は多いときには500名余りの随行員を伴って来琉し、半年以上滞在しました。
この冊封使一行の歓待は国を挙げての一大イベントで、滞在中に王府主催の盛大な宴が七回も開かれたといいます(七宴)。重陽宴は第四宴にあたり、龍潭池での船遊びが中心だったようです。
玉城朝薫によって創作された「組踊り」が初演されたのも、この1719年12月1日の重陽宴だったとか。ハーリー見物の後、場所を首里城に移して組踊り「二童敵打(にどうてきうち)」等が演じられ、その斬新さと完成度の高さが人々を驚嘆させたといわれています。
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絵の左半分では、龍潭池の波止場にもうけられた席で、冊封使が爬龍(はーりー)や舞踊を見物する様子が中心に描かれています。画面上部には首里城と周辺の代表的な建物が並んでいます。
当時、中国を盟主とする冊封という体制下にあった琉球では、国王が変わると、新しい国王を中国皇帝に承認してもらわねばなりませんでした。その承認式を行うため、皇帝の代理として来琉した中国の役人が冊封使(正使と副使の二人)です。冊封使は多いときには500名余りの随行員を伴って来琉し、半年以上滞在しました。
この冊封使一行の歓待は国を挙げての一大イベントで、滞在中に王府主催の盛大な宴が七回も開かれたといいます(七宴)。重陽宴は第四宴にあたり、龍潭池での船遊びが中心だったようです。
玉城朝薫によって創作された「組踊り」が初演されたのも、この1719年12月1日の重陽宴だったとか。ハーリー見物の後、場所を首里城に移して組踊り「二童敵打(にどうてきうち)」等が演じられ、その斬新さと完成度の高さが人々を驚嘆させたといわれています。
