QRコードから携帯版に
アクセスできます(地図有)
首里城下町で爬龍競争を見物する人々
龍潭とは約600年前に首里城の北に造営された人工池です。重陽とは五節句の一つで9月9日を指します。タイトルの「龍潭重陽宴圖」とは、旧暦の重陽節に、中国からの使者「冊封使」をもてなすために、龍潭池で開いた宴の図、ということになります。
絵の右半分では、龍潭池での爬龍(はーりー)船競争を、船から見物する人々、汀に詰めかけた人々、首里の按司邸や市場などの様子が生き生きと描かれています。
1719年に来琉した冊封使の徐葆光(じょほこう)が、実際にこの宴の様子を「中山伝信録」という本に詳細に書き記しました。首里の古地図やその他の資料も下敷きにし、当時の情景を想像してこの絵は描かれています。1719年の重陽宴は新暦12月1日に挙行されたそうです。
一人一人の表情まで描き込まれた画面から、当時の人々の息づかいが聞こえてくるようです。
前のページに戻る
龍潭とは約600年前に首里城の北に造営された人工池です。重陽とは五節句の一つで9月9日を指します。タイトルの「龍潭重陽宴圖」とは、旧暦の重陽節に、中国からの使者「冊封使」をもてなすために、龍潭池で開いた宴の図、ということになります。
絵の右半分では、龍潭池での爬龍(はーりー)船競争を、船から見物する人々、汀に詰めかけた人々、首里の按司邸や市場などの様子が生き生きと描かれています。
1719年に来琉した冊封使の徐葆光(じょほこう)が、実際にこの宴の様子を「中山伝信録」という本に詳細に書き記しました。首里の古地図やその他の資料も下敷きにし、当時の情景を想像してこの絵は描かれています。1719年の重陽宴は新暦12月1日に挙行されたそうです。
一人一人の表情まで描き込まれた画面から、当時の人々の息づかいが聞こえてくるようです。
